アメリカで新たな価値観に触れ、東京で等身大の居場所を見つける。音楽家 岸田勇気の回顧録

引越しはしばしば、人生のターニングポイントになるもの。作編曲家でピアニストの岸田勇気さんは、大学進学をきっかけに地元大阪から東京へ、その後ジャズを学ぶためにアメリカへ、そして再び東京に拠点を移すという3回の大きな引越しの経験者です。

岸田さんのレコーディングスタジオ「Kick Up Studio」にお邪魔し、ライフステージや居住地の変化がどのような影響を及ぼしたのか、半生を振り返る形でお話をうかがいました。

ライフステージとともに変化した住環境

− まず、最初の引越し体験について教えてください。大学進学を期に上京されたのですよね。

「幼少期からピアノをやっていて、地元の音楽高校に通っていました。自然と最高峰である東京藝術大学をめざす流れになったのですが、一方で将来音楽を仕事にすべきかどうか悩んでいる自分もいて、もし藝大に合格できなかったら思い切ってやめようと思っていたんです。そのせいもあって、受験のときは本当に緊張して、『これがだめでも死ぬわけではない』と自分で自分に言い聞かせるくらい、追い詰められていました。

結果的に藝大へ進学できることになり、受験というプレッシャーから解放されたというのもありますし、初めて親元を離れてよい意味で縛られなくなって、やりたいことを自己責任で取り組むという経験ができたのは大きかったです。クラシック以外のジャンルに目を向けるきっかけになりました」

岸田さんは大学時代にジャズと出会い傾倒し、技術を磨くために大学を休学してアメリカへ渡ることを決意します。

− 日本でもジャズは勉強できると思うのですが、アメリカまで行こうと思ったのはなぜですか?

「やっぱり本場に飛び込むのが一番早いのではないかと思ったんですよね。ジャズが自然に身の回りにあって、いろんなプレイヤーの演奏に触れられる環境があると思ったので。当時英語も全然話せなかったのですが、叩き上げ精神というか、『行ったれ!』という思い切りで行きました(笑)

アメリカでは音楽的にいろいろ学べたというのはもちろんあるのですが、想像していなかったようなきっかけもいろいろと生まれました。たとえば、時間を持て余して勉強し始めた作編曲が、今の仕事の半分を占めるまでになりましたし、日本が恋しくなって見始めたアニメも、今は仕事で関わる側になりました」

− 岸田さんの引越し体験は、ライフステージも国も変わっているのでものすごく大きな変化ですよね。

「特にアメリカでは、日本を外から見ることができたのは貴重な経験でした。今だから思うのですが、日本はジャズも含めて世界に引けを取らないくらい音楽のレベルは高いと思います。自分を見つめ直す機会にもなりました。今もですが、『自分の人生をどうすれば一番楽しいものにできるだろう』と自問自答していました。

あと、引越しで生まれる新たな出会いには大きく影響を受けました。新しい刺激を受け価値観が変わったり、ミュージシャン同士は仕事仲間であり友人であり……という感じなので、新たな仕事につながったりすることも少なくありません。これまでのさまざまな出会いが、今につながっていると感じます」

「今の自分を体現する居場所」との出会い

帰国後大学を卒業した岸田さんは、東京を拠点にさまざまなアーティストのライブ演奏やレコーディングに参加したり、楽曲制作・プロデュースをしたりと多方面で活躍されています。

− 大変立派なスタジオにお邪魔させていただいていますが、昨年購入されたそうですね。ぜひこちらとの出会いを教えてください。

「もともと、いずれは家とスタジオを分けたいと考えていました。なので2019年の4月頃ですが、10年くらいの長い目で探してみようと思って、知り合いの不動産屋さんに防音のよい物件が見つかったら教えてくれと頼んだんです。そしたらまさかの、3日後くらいに『見つかりました!』って連絡がきて(笑)。内見してみて、衝撃でしたね。現役を引退されるエンジニアさんが使っていた個人スタジオの居抜き物件で、すでにこの立派な防音設備がある状態でした。立地もよいし、築年数があったので内装に対して金額もリーズナブルで、直感で『手に入れたい』と思いました」

− ですが、10年くらいのスパンで探そうとしていたのに3日後に見つかってしまうと、心の準備が大変そうです…!

「本当にそうで、不安もありましたしすごく悩みました。でも、自分の人生のモットーとして、手に入れたいものや環境があるときに『難しいから諦めるのではなく、実現ためにどうしたらよいかを考え行動する』というのがあるので、ここで不安感に流されていたら自分らしくないと思ったんです。自分にとってはぜいたくな場所だと思いますが、背伸びしながら貪欲に掴み取っていくのが自分のスタイルかなと。1年経って、今は少し自分に馴染んできたように感じます」

− この場所は岸田さんにとって覚悟や責任の表れでもあるのですね。

「購入したタイミングはちょうどアメリカから帰ってきて10年目だったので、このスタジオは10年間頑張ってきた結果だと感じ、誇りに思います。もちろん愛着はあるし、今の自分を体現している大切な場所だと思いますが、一方で執着もなくて。40歳の自分はここを手放しているかもしれないし、わかりません。あくまで “自分は今、ここにいる” という感覚なんです」

唯一無二の音楽家へ

− ある意味、変化そのものが岸田さんのアイデンティティなのかもしれませんね。岸田さんの “今の” 目標や今後のビジョンを教えてください。

「今はまだ若手と呼ばれていますが、この先10年、20年と生き残っていくためには、自分自身がブランドになる必要があると考えています。今後ライブも減っていってしまうでしょうし、ただの『ピアノが上手な男子』ではやはり難しくて、『岸田勇気の音楽が聴きたい』と思ってくれるファンを増やしていかないといけない。その一環として今はYouTubeを頑張っています。

今後も好奇心に従って、やりたいと思ったことは臆せず挑戦していきたいです。もし違うなと思えば、やめたっていいと思っているので」

− アメリカ時代に、「自分の人生をどうすれば一番楽しいものにできるだろう」と考えていたとおっしゃっていましたが、今の人生は「一番楽しいもの」になっていると思いますか?

「まだわかりません。というか、多分ずっとわからないんだろうなと。自分はいつだって挑戦の途上にいる気がします。ですが、時折出会う『今が最高に楽しいという瞬間』は確かにあるんです。その一瞬を味わうために頑張れているのだと思います」

− ありがとうございました。

なみなみならぬ努力により才能を得て、またなみなみならぬ努力によってその生かし方を学ばれている岸田さん。技術面だけでなく、いろんな土地でいろんな価値観や音楽性に触れてきたからこそ、それらが魅力的な演奏やクリエイティブに昇華されているのだと理解しました。

【YouTube】 きしだピアノch.
【Twitter】 @yukikishida

  • Text by 鈴木 紀子
  • Photo by 今井 淳史