就職を期に日本へ。13年で8回の引越しを経験した二胡奏者 李英姿の回顧録

引越しには、ドラマがある。あの日、あのとき、どんな想いで新生活をスタートしたのか、そして当時の経験が今にどうつながっているのかを伺うインタビューです。

今回お話を伺ったのは、中国江西省出身の二胡奏者の李 英姿(り えいし)さんです。音楽大学を卒業したあと、日本で展開する本格中国料理店に奏者として就職。その後東京藝術大学に進学するなどさまざまなライフステージの変化があり、来日からの13年の間に総計8回もの引越しを経験していると言います。13年の日本生活で、李さんはどのようなことを思ったのか。引越しエピソードと一緒にお聞きします。

日本で初めて住んだ街は、麻布十番

− 中国で音楽大学を卒業したあと、なぜ日本に来ようと思ったのですか?

「卒業を控えていた年に、大学に<日本にある中華料理店での奏者募集>の求人が出ていたんです。元々海外で生活してみたいという思いがあったので、行ってみたいと思いました。その頃日本では、女子十二楽坊も流行っていましたし」

− でもそのときは、日本のことも全然知らないし日本語もまったくしゃべれなかったのですよね? 不安ではありませんでしたか?

「日本へ行くと言っても住む場所や働く場所は用意されている状態だったので、わたしは全然不安じゃなかったです。でも、母はすごく不安がっていましたね」

− では、会社の寮に住み始めたということですね。

「そうなんです。あちこちに店舗があって、その近くや同じ建物内に寮があるのですが、最初に住んだのは麻布十番でした」

− すっごく都心ですね。日本での最初の暮らしが「麻布十番」というのはなかなかインパクトがあります。

「今思うとぜいたくですよね。その頃は全然土地勘がないから、よくわかっていませんでしたが。麻布十番には1年ほど住んで、その後は三田に4年ほど、芝浦に2年ほど住みました。全部、職場が用意してくれた寮です」

修士に進学、そして初めての賃貸契約

− そうして中華料理店で7年働いたあとは、東京芸術大学の修士課程で電子音楽の研究・制作をされていますよね。

「最初は科目等履修生として授業の受講を開始して、その後修士課程に進みました。働いているうちに自分の中でどんどん、『演奏だけでなく、作曲領域の勉強もしたい』という気持ちが大きくなっていったんです。

学業に専念するために中華料理店での仕事をやめたので、そのタイミングで初めて職場の寮を出ることになりました。最初は鶴見の知人宅に住まわせてもらって、その後南流山にある大学の寮に入居しました」

− 麻布十番から始まって、南流山まで辿り着きましたか。

「駅から寮に歩くまでの間に畑や田んぼがあって、のどかなところでしたよ。でも、南流山の学生寮は、本当に住みやすかったです。なぜなら、練習用の防音室があったから。それまでは二胡の練習も作曲も、音量や時間を気にしながらやる必要があったのですが、学生寮では思い切り音楽に打ち込めました。ほとんど防音室にいて、自室には寝に帰るくらいの感覚でしたね」

− 修士時代の印象深い思い出はありますか?

「修士時代にはある程度日本語が話せるようになっていましたが、授業は専門用語がすごくたくさん出てくるので6割ほどしか理解できなくて本当に苦労しました。修了間近になると制作や論文、学外の活動などいろいろなことに追われて、一週間寝なかったことも。ものすごく忙しかったですが、今振り返るとよい思い出です」

− 卒業後はフリーランスの音楽家として活躍されました。そして現在は、音楽制作会社でディレクターをされていますね。

「フリーランス時代は演奏したり、教えたり、作曲をしたりといろいろなことをしていました。本当は、自分の中では演奏なら演奏、制作系なら制作系と決めて、その道を極めるほうがよいと思っているんです。でも、結局どれも捨てられなくて。

一時期は将来が不安で精神的につらい時期もありましたが、今は『とにかく目の前のことを一生懸命やろう』と割り切って考えられるようになりました。今は二胡の演奏活動をしながら、制作会社でのディレクションと、洗足学園音楽大学での後進の指導に注力しています」

来日13年で、初めての賃貸契約

− ところで、芸大修了後はどこに住んだのですか?

「新小岩、東中野を経て、今は中央区に住んでいます。日本に来て10年以上ですが、自分で部屋探しから契約までをしたのは今の自宅が初めてです」

− では思い入れはひとしおですね。どのような条件で部屋探しをしたのでしょう。

「中国の風水では、玄関から入ってすぐ目に入るところにベッドがあるというのは、あまり好ましくないんです。でも日本の一般的な1Rの間取りだと、だいたい玄関からベッドが視界に入ってしまいますよね。それでなかなか理想の間取りが見つけられなかったのですが、根気よく探してようやく見つけることができました。しかも、鉄筋系かつ角部屋なので音出しも比較的しやすい環境で、まさに理想的なお部屋でした。

ただ、間取りを重視した結果、予定していた家賃からはだいぶオーバーしてしまいました。しかも管理費について認識していなくて、それを足したらますます高くなることに、住み始めてから気がつきました(笑)」

− すごくたくさんの引越しを経験されていますが、何か工夫をしていましたか?

「重たい家具をなるべく買わないようにしていました。あちこち引っ越していたので、身軽でいたほうが便利で。でも本当は、早く永住ビザを取得して、マンションを買いたいんです。そしたら家具も買いたいなと思っています」

− 李さんは、なぜ日本でずっと活動していこうと思ってくださったのでしょうか。

「日本に慣れてきたし、あとは初めて日本に来たときの印象がすごく頭に残っているんです。『空が青くてきれいだなあ』って。中国は急速に発展していて、電子マネーもいち早く普及したし、今ではコンビニの会計もFaceIDでするような先進的な国ですが、空の青さでは日本に勝てません。そこが日本の好きなところですね」

今年の1月には二胡奏者として、自身初となるアルバム『Beyond』をリリースした李さん。今後も多才なスキルを生かして日本で活躍されることを楽しみにしています!

Text by 鈴木 紀子 Photo by 今井 淳史