シテ方(主役)を務める流儀・金剛流の能楽師として京都や東京を中心に活躍される山田 伊純(やまだ いすみ)さん。能楽師である祖父の元で幼少期から能楽に親しみ、6歳のときに子方(子どもが務める役)として初舞台を踏みました。
金剛流宗家である金剛永謹氏のもとで修行するべく、2007年に大学進学と同時に東京から京都へ引越し、内弟子に入門しました。親元を離れての修行や初めての地での暮らしで、山田さんは何を思ったのか。そして計9年間もの修行を終え独立したとき、山田さんが抱いた決意とは。お話を伺いました。
山田 伊純(やまだ いすみ)●金剛流能楽師。祖父・山田純夫のもと5歳より稽古を始め、6歳で初舞台を踏み「百萬」の子方を勤める。2007年、金剛流宗家金剛永謹の内弟子(通い)に入門する。2010年、住み込みの修行を開始。2016年、住込み修業を終え独立を許される。今までの主な開曲は「石橋」「乱」「望月」。内弟子修業中より能楽講座を催すなど積極的に能楽普及につとめ、最近はオンラインでの活動も開始している。HP/Twitter/YouTube
700年の歴史をもつ、能楽の世界

− 山田さんはおじいさまが能楽師で、幼少期から自然と能楽の道を歩み始めたのですよね。能楽をされる方はやはりそういう環境の方が多いのですか?
「多いですが、そうでなくとも能楽師にはなれます。実際わたしの祖父は能楽とはなんら関係のない環境で育ち、大人になってから能楽師を志したと聞いています。よい先生に巡り合うことができ、40歳頃に独立したそうです」
− 何をもって能楽師を名乗れるようになるのですか?
「一般の方は師のもと稽古を重ねますと免状をいただくことができ、能楽師になる道が開かれます。修行期間は人によってまちまちですが、10年ほどかかると言われています。わたしの場合は、幼少期より舞台に立っていて内弟子修行も終えているので、免状をとる必要もなく能楽師を名乗れることになります。流儀によって制度は異なり、その線引きもさまざまです」
− 山田さんが6歳から務めていたという、「子方(こかた)」とはどういうものなのですか。
「子方は、子どもが務める役です。必ずしも子どもの役を演じるとは限らず、たとえば『船弁慶』や『安宅』という演目では源義経(成人)の役を子方が担います。何歳まで、という明確な決まりはないのですが、おおむね声変わりする13歳くらいまでが多いと思います」

− 幼い頃から習慣的に能楽の舞台に立ってこられたのですよね。自らの意志で能楽師を志したのはいつ頃からなのでしょうか?
「高校生の頃ですね。一般的に子方を卒業すると、しばらく舞台に上がらない時期があるんです。そして、高校生くらいになると、今度は大人として改めて楽屋入りをします。その頃、祖父から改めて『お前は能楽師になるんだよな?』と確認されました。すでに生活の中にすっかり能や舞台が浸透していたので、改めて『能楽師に“なる”のか』と問われてもぴんとこなかったのが正直なところなのですが、京都にある金剛流の宗家(本家のこと)で修行させてもらえることが決まり、自分の覚悟も決まっていったように思います」
能楽基礎知識コラム① 能とは
主人公が「能面」をつけて演舞する、無形文化遺産にも登録されている古典芸能。奈良時代に中国から渡来した「散楽(さんがく)」という芸能を源流とし、南北朝時代から室町時代にかけて観阿弥・世阿弥親子によって完成した。セットや照明のないシンプルな舞台で上演されるため、観衆は想像力を働かせてさまざまな解釈で観賞することができる。なお、しばしば狂言と混同されるが、わかりやすい違いは面の有無*。能と狂言を併せて「能楽」といい、本来的にはセットで上演されるものである。
*注:狂言にも狂言面をつけられる曲目はあるが例外的
不安を抱えながら、東京から京都へ

− そうは言っても、住みなれた東京や家族のもとを離れて、京都へ一人修行へ行くのは不安だったのではないでしょうか?
「そうですね。京都で修行すると決まったのが高2の冬だったのですが、それまでは東京の大学に進学する気まんまんだったんです。自分の中では急にいろいろと変化したので、不安は大きかったですね」
− 修行というのは具体的にどのようなものなのか教えてください。
「京都へ行ってから最初の4年間は、大学と両立するということで “通いの内弟子修行” というのをしていました。だいたい週3日くらいですが、リハーサルと舞台の準備や、先生のかばん持ちなどに駆けつける、というものです。夏休みや冬休みは1週間泊まり込むこともありました。
卒業後は、いよいよ住み込みでの内弟子修行が始まりました。と言っても、やることは通いのときと変わらず、運転をしたりお着物をたたんだりと先生のお手伝いをする日々です。先生は大変精力的に活動されていたので毎日めまぐるしく、帰ったらばたんと寝てしまって、最初の1年間はなかなか自分の稽古をする時間はとれませんでした」

− そうなんですか!「修行」というと、お稽古があってさまざまな演目を教えてもらって……というイメージでした。
「実はわたしもそう思っていたので、いざ修行の身になって驚きました(笑)。『どうしてもっと教えてくださらないんだろう』とやきもきしていた時期もありましたが、今となって思うのは、自ら『もっと知りたい、もっと勉強したい』と意欲をもつことを学ばせてもらったのだなと。また、よく『技は目で見て盗め』と言いますがその通りだなと思いました。稽古をつけていただいて覚えるのはある意味簡単ですが、自分で考えることをやめてしまうという弊害があります。こうかな、いやこうかな、と試行錯誤したり、うまくいかなくて悩んだりする過程こそが修行だったのだと感じています」
− 山田さんは計9年間、修行されていましたが、期間は決まっているのですか?
「決まっていません。おおよそ10年ほどで独り立ちという目安はあるにはあるのですが、先生の一存で決まるものですから、人によって違います。いつ修行が明けるかまったくわからないなか、同級生たちが仕事で成果を出したり活躍したりしているのをSNSで見ていると、どんどん焦りが募ってつらかったですね。
終わりは本当に突然やってきました。2016年の4月に独立したのですが、2月に先生から呼ばれ『卒業させようと思いますから、4月からご自分でいろいろやってくださいね』と言われたんです。あまりに突然だったので、『卒業って、何から卒業なんだろう』ときょとんとしたのを覚えています(笑)。一般的には半年とか一年前に通達されることが多いので、わたしだけでなく後輩もみんなびっくりしていましたね」
能楽基礎知識コラム② 能の登場人物>
「シテ」とよばれる主役、「ワキ」とよばれるシテの相手役、「ツレ」とよばれる助演役がある。ツレの中には「シテツレ(主役の助演役)」と「ワキツレ(相手役の助演役)」がある。シテとワキは一曲に一人ずつしか登場しない。登場人物以外の役割としては、演者の装束付けから舞台進行を担う「後見」、場面の情景や人物の内面を謡う「地謡」、楽器の演奏と掛け声を行なう「囃子」がいる。
現代人にこそ伝えたい、能の魅力

− 独立後は舞台やお弟子さんへのお稽古、オンラインでの発信など精力的に活動されていらっしゃいます。コロナショックもありましたが、今後についてはどうお考えですか?
「戦後は “敷居が高いもの” として捉えられていた能楽ですが、その隔たりはどんどん広がり、近年は多くの若者にとって “知らないもの” となりつつあると感じます。その課題に向き合いたいと思いますが、能楽は『どう捉えるかはその人次第』という、美術品にもにた魅力があるので、敷居を下げようとして一から十まで説明してしまうのも、それはそれで違うのではないかと。ですからわたしの活動方針は、YouTubeなどを活用してとにかく能楽に触れる機会をご用意する、そしてどう感じるかはあくまでお客様に委ねるというものです。
無駄を削ぎ落とした能の舞台は、『大事なことを伝えるのに、ことばはいらない』ということを教えてくれます。情報があふれている現代だからこそ、能から学ぶことは多い。なんらかの形で、そうした能のエッセンスだけでもみなさんの生活に溶け込むようになったらいいなと思っています」
− 独立後も、京都に残ることを選ばれた山田さん。今、かつての京都への引越しを振り返って、当時の決断をどう思われますか。
「逆に10代でなければ、能楽師の道を選べなかったかもしれないなと感じるので、あのとき決断してよかったと思います。終わりの見えないトンネルを手探りで進んでいるように感じ、つらい時期もありましたが、そういう日々を乗り越えたからこそ今の自分があります。
今後もしばらくは、京都で活動を続けていきます。いずれ東京へ帰るか、まだ決めていませんが、今後も自分の決断を信じて道を選んでいきたいと思っています」
能楽基礎知識コラム③ 金剛流とシテ方>
能は流派によって役割が決まっており、山田さんの流派である金剛流は、シテ方を担う。シテ方を担う流派はほかに観世流、宝生流、金春流、喜多流がある。シテ方は、シテ(主役)、シテツレ(主役の助演役)だけでなく地謡(場面の情景や人物の内面を謡うバックコーラス)と後見(演者の装束を直したり小道具を渡したりする役割)も担当する。

Text by 鈴木 紀子 Photo by 今井 淳史
人生を変える引越しなら、セルフ内見型賃貸サイトOHEYAGO(オヘヤゴー)へ!