引越しはしばしば、人生のターニングポイントになるもの。医師業と芸能活動を両立されている木村好珠さんは、病院実習が始まる医学部5年生のときと、研修医になるタイミングの2回引越しをされています。引越しは、木村さんの人生にどのような影響を及ぼしたのでしょうか。これまでの活動について伺いながら、ひもときます。
精神科医。2017年より精神科医師としての知識だけでなく健康スポーツ医としての資格を活かし、 医師の立場から現役アスリートへのスポーツメンタル指導を始める。2018年より日大ラグビー部メンタルサポーター、2019年よりレアル・マドリード・ファンデーショ ン・フットボールスクールのメンタルアドバイザー、パラリンピック正式種目「ブラインドサッカー」 日本代表チームのメンタルコーチに就任 Twitter/blog

日本における、スポーツメンタル指導を促進
木村さんが医師を志したのは高校生のとき。大切なご友人が心を病んでしまったことをきっかけに、精神科医となって治してあげたいと考えるようになりました(ちなみにそのご友人はほどなくして元気になったそう)。医学部進学してほどなく、ミス日本グランプリ決定コンテストで準ミス日本を受賞し、芸能活動を本格的に開始しました。
2014年に医師免許を取得してからは精神科医として働き、2017年からは新たに取得した健康スポーツ医としての資格も活かし、 医師の立場から現役アスリートへのスポーツメンタル指導をおこなっています。

− 現在木村さんが力を入れているスポーツメンタル指導は、日本では認知度の低い職務ですが、どのような経緯で携わるにいたったのでしょうか?
「まず、わたしは高校生のときからスポーツが大好きで、将来は医師免許を生かしてなんらかの形でスポーツに関わりたいと思っていました。そこで医師になってから、“運動をおこなう人に対して医学的診療のみならず、メディカルチェック、運動処方をおこない、さらに各種運動指導者などに運動に関する医学的な指導助言をおこなう”、健康スポーツ医の認定を受けました。
ただ、健康スポーツ医の認定を受けたからといって何か明確なポストにつけるわけではありません。というのも、スポーツメンタル指導は海外ではスタンダードに取り入れられていますが、日本ではまだ必要性すらはっきりと認識されていない状態です。つまり、まずはその必要性を訴え、ポストを作るところから始めなくてはなりませんでした」
− ではこれまでのメンタルアドバイザーとしての役割は、自ら働きかけて作ったものなのですか?
「はい。これまで芸能活動もしてきたおかげで、SNSにはわたしの意見に耳を傾けてくださる方が多く、こういうことをやりたいと発信し続けていたらご縁が繋がっていきました。また、少しでもスポーツに関する仕事につながればと、雑誌に記事を寄稿していた経験なども今につながっています。とても大変でしたが、本当にスポーツメンタルの重要性を確信していたので、信念をもって発信を続けています」
− スポーツメンタルの重要性について教えてください。具体的にどのようなことをサポートするのですか?

「まずスポーツ選手は、とてつもなく大きな重圧にさらされて生きています。世界でも有名選手がうつ病を告白して話題になったことがありましたが、すべての試合で自分のパフォーマンスをシビアに評価され、それで来年度以降の年俸や人生が決まってしまうため、結果に対するプレッシャーが尋常じゃないのです。でも、最良のパフォーマンスを出すためにはもちろんメンタルの状態は重要です。日本には『耐え忍ぶ』ことを美徳とする文化があるため、なかなかこの問題に科学的に向き合うということがおこなわれてこなかったのですが、実際はメンタルアドバイザーが大きく寄与できると考えています。
アプローチはさまざまですが、わたしは選手と直接対話すること以上に、監督とのコミュニケーションを重要視しています。なぜなら、監督は選手にとって絶対的な存在であり、その言動が選手にもっとも大きな影響を与えうるからです。具体的には試合に同行して監督の言動をすべて録音し、あとから一緒に振り返りをします。このときのこの発言は好ましくなかったのではないか、逆にこういうときにはこういう声かけをしてはどうか、などマネジメントのフォローアップをするイメージです」
− なるほど、選手本人ではなく、それをとりまく環境のほうから整えていくのですね。
「さらに抜本的な取り組みとして、10代のユースやジュニアユースの選手たちを対象に『強いメンタルをもったスポーツ選手の育成』も試みています。いわゆる育児の方法論を参考にしたり、知見のある方に経験を伺ったりして方法を模索しています。昨年、スペインのサッカーチームであるレアル・マドリードのメンタルコーチとお話させてもらう機会があり、ぜひ日本でも実践していきたいアイディアをたくさんインプットすることができました。とにかく実現したいことがたくさん! 結果が実るように、日々勉強に打ち込んでいます」

引越しは、無知を知る機会に

− これまでに引越しを2回されているということですが、思い出エピソードを教えてください。
「最初の引越しは、医学部の5年生だったとき。初めての一人暮らしで何もわからない状態だったのですが、引っ越した当日に部屋に電球がついていないことに気付いて、初日は真っ暗なまま過ごしました(笑)」
− え!(笑)前の入居者さんが電球ごと持って行ってしまったんですね!
「電気を自分で取り付けるという発想がなかったので、びっくりしたのをよく覚えています。自分は本当に、世の中のことを何も知らないんだなあと妙にしみじみと感じました。
2回目の引越しは研修医になるときなのですが、振り返るとこのときの感想もまったく同じで、『自分は何も知らないんだなあ』でしたね。と言ってもそれは別の意味で、医師国試に受かったとはいえ、いざ病院で実務をするとなったらなんにもできない、知らない、そんな状態で。無力さを思い知るタイミングだったんです。自分を省みるチャンスになったなあと思います」
− 木村さんにとっては引越しが、いろんな意味で「新しいスタート」と重なったんですね。ところでお部屋探しにおいて、こだわっているポイントはありますか?
「一般的なことだと思いますが、やっぱりトイレとバスは別がいいですね。あとは不在にしていることが多いので、今は宅配ボックスのある物件に引越したいです。立地に大きなこだわりはありませんが、職場からはある程度遠いほうがよいです」
− それは意外です! お忙しく過ごしていらっしゃるから、移動時間を短縮したいのではないかと思っていました。
「精神科医という仕事柄、仕事とプライベートははっきりと分けたいという思いがあり、移動時間がその役割を果たしてくれるんです。あ、あともう一つ! 勉強机を置く余裕があるということは重要です。受験生時代から医学部時代、そして現在にいたるまで、部屋で一番長く時間を過ごしているのは愛用の勉強机です。毎朝起きると、まずはそこに座るんです。気付いたら原稿仕事をしていたり、本を読んでいたりします」

− 精神科医として、ご自身のメンタルケアにも気を遣われていることと思います。よく取り入れている習慣があれば教えてください。
「いわゆるデジタルデトックスです。今はSNSが主流になって、いつでも誰とでもつながれるからこそ、仕事とプライベートの境目が曖昧になっていますよね。それで無意識に疲れている現代人がとても多いんです。よく『休み時間はスマホをいじっています』とおっしゃる方がいるのですが、それ休めていないです!
わたしはよく、公園に出かけて芝生に寝転がってぼーっとしてみたり、携帯を家において1日出かけてみたりして、自分と向き合う時間を作っています。暇といえば暇なのですが、そうして人間関係から一回離れてみると、本当に頭がすっきりしますよ」
− 言われてみれば、毎日常に何かを調べたり読んだりしている気がします。どうりで疲れるわけですね……。最後に、今後の活動についての抱負を教えてください。
「わたしは、医者として王道の働き方はしていません。それは自由である一方で、不安なこともたくさんあります。でも、やりたいことを貫くと決めた以上、とにかく今できることに真摯に向き合い、働く場所や住む場所にとらわれずに道を選択していきたいと思っています。まずはもっともっと勉強して、精神科医として、そしてメンタルアドバイザーとして、一人でも多くの人の笑顔に貢献できるよう努めます」

Text by 鈴木 紀子 Photo by 丹野雄二