引越しはしばしば、人生のターニングポイントになるもの。福島県須賀川市で子育て応援サロン『マミーズガーデン』を運営する長谷部 久美子(はせべ くみこ)さんは、旦那様の転勤を理由に10年前、この地へ引っ越してきました。
知人もいない、頼れるつてもない、そんな中でなぜ長谷部さんは子育て応援サロンを始めたのでしょうか? 長谷部さんの引越し回顧録をお届けします。
長谷部 久美子(はせべ くみこ)●2児の母。2014年より、子育て応援サロン『マミーズガーデン』を運営。また、須賀川市のコミュニティーFM「ウルトラFM」でパーソナリティーを務めたり、地域のメディア「すがかわのおと」で執筆活動をしたりと、精力的に地域情報を発信している。
苦労した経験を生かし、子育て支援へ
自然あふれる街 須賀川市へ
「生まれも育ちも茨城県だったので、福島へ来たときは本当に右も左もわからない状態でした」
長谷部さんが振り返るのは、2010年のこと。旦那様の転勤が決まり、生まれたばかりの第一子をつれてこの地へやってきました。
− 見知らぬ土地で、初めての育児。当時はかなり、つらかったのではないですか?
「本当に大変でした。夫は仕事で帰りが遅くいわゆるワンオペ育児でしたし、看護師としてキャリアを積んできた経験から、周囲に助けを求めることにも抵抗がありました。母親として一人で育児をしっかりこなさなくてはいけないという、思い込みのようなものがあったんですね。
ですが第一子は男の子でやんちゃだったこともあり、とにかく命を守ることに毎日必死で、気づけばすっかり疲れ切っていました。身体がいつも疲れているから、心も疲れているという負のループで、このまま一人で抱え込んでいるとじきに限界がくると思い、ママ友を探し始めました。当時は今みたいにSNSが活発ではなかったので、ベネッセが運営していたママ友探しの掲示板で同じ地域のママを探したり、市の支援センターをまわったりして、ネットとリアル両方で友達を作っていきました」
− そこからなぜ、マミーズガーデンを始めようと思ったのですか?
「わたしは須賀川市へ来た当初、育児や地元の情報収集にすごく苦労したので、自分の得た情報をまた次のママたちに伝えていきたいと思っていました。そんな矢先に、公民館の子育て支援講座で知り合ったママたちも同じ思いをもっていることを知り、3人で情報発信のためのブログを始めることになりました。これがマミーズガーデンの活動の始まりです。お互いに得意分野をもち寄ってスタートさせましたが、このときは地方にも優秀な人材はいて、そのスキルを眠らせておくのはもったいないとつくづく感じましたね。
そしてもう一つ考えるきっかけになったのは、引っ越して1年ほどのときに経験した3.11です。この地でがんばっていくぞと意気込んでいた矢先にあのようなことが起きて、福島は大きな打撃を受けましたし、情報が錯綜して何を信じてよいのかもわからず……未来が見えなくなってしまいました。ですがその後、福島のみんなが助け合いながら徐々に前を向き、新しい人生を歩み始めるのを目にして、人と繋がることの大切さを改めて感じると同時に、自分も後悔のないように行動を起こしたいと思うようになりました」

− マミーズガーデンでの具体的な活動内容を教えてください。
「ブログの次に始めたのが、産後ママのためのセラピーです。産後は身体がつらいですが、ママたちはなかなか子どもを預けてリラックスする機会がないですよね。そこで、別室でお子さんを遊ばせながらママはエステティシャンの施術を受けられるという集まりを、定期開催するようになりました。
もちろん、お金を出せば子どもを見ていてもらう方法も、自分をいたわる方法もいくらでも見つかると思うんです。でもお母さんたちが参加しやすい値段で、となるとやはり選択肢が少なくなってしまう。この会は45分の施術で3,000円という値段設定で、実質ボランティアで開催していました。この会を通して一番驚いたのは、部屋から出てくるママたちの表情が全然違うことです。リラックスして明るい表情で、久しぶりにその人の “本当の顔” が見れたという印象を受けました。逆を言うとそれだけみなさん、がんばっているんだなあと再認識しましたね。
マミーズガーデンでは、『子育てはこうあるべき』というような教科書的なことは一切なしです。それよりも『子どもがいるからこそできる、出会いや体験の存在に気づいてもらう』ことを重視して、“ママ” になってもできることはこんなにあるんだなと感じてもらえることをめざしています」
− 活動を通して、長谷部さんご自身に変化はありましたか。
「知らない土地で始まった私の子育てでしたが、たくさんの人と繋がって支えられきて、自分の気持ちもどんどん前向きになっていきましたし、須賀川が大好きになりました。だからこの土地で子育てしていくママたちにも、『子育ては大変だけどマミーズガーデンもあるし、須賀川の街で子育てしていてよかった』と思ってもらいたいです」
広がり続ける、活動の幅

− 現在、須賀川市のコミュニティーFM「ウルトラFM」でラジオパーソナリティーをされています。始めたきっかけを教えてください。
「震災時に壊れてしまった総合福祉センターが、2019年1月に市民交流センター『tette(テッテ)』として生まれ変わり、そこに須賀川地域のコミュニティ放送局である『ウルトラFM』が入りました。パーソナリティとして市民を起用するというコンセプトで、美容師さんや寿司職人など本当に幅広い方々が参加しています。わたしは子育て世代代表としてお誘いいただきました。初めは、話すことが苦手だしどうしようかなあと悩んだのですが、より多くの人に発信できるチャンスだと捉え、挑戦することに決めたんです」
− どのようなことを発信していますか。
「子育てに関する情報はもちろん、お店やイベントの情報など、街中の情報も幅広く発信しています。情報源は市の広報誌や新聞記事、あとはリスナーさんからのお便りで知る情報もたくさんあります。肩肘をはらない、身近な話題ばかりですよ。たとえば先日の放送では、7/28にちなんで『なにわの日』をテーマに、お好み焼きのおいしいお店について話しました。
また、夏休みには他団体との協働で、子どもたちが職業体験としてラジオパーソナリティに挑戦できるイベントも開催しています。よい思い出になったり、将来について考えるきっかけになったりしたら嬉しいです」
− こうした地域への貢献が認められ、本来であれば今年の3月に聖火ランナーとして市内を走るはずだったのですよね。
「中止になってしまったのは残念ですが、わたしにとっては選んでいただいたこと自体が、これまでの活動が認められたということなのですごく嬉しかったです。特にわたしが選んでいただいた枠の募集要項の一つは『地域の思いをつなげていく人』ということで、自分の活動と本当にリンクしているなと感じていました。
さらに言うと、実は地元にいた頃から市民ランナーとして走っていたので、聖火ランナーという形でこれまでの努力が結実したというのは、不思議な巡り合わせだなと感じています。オリンピックは今後どうなるか見えない状況ですが、最近は我が子も走るようになったので、ひとまずは親子でランニングを楽しんでいきたいと思っています」

引越しで変わった、人付き合いと価値観
− 話は戻り、マミーズガーデンをはじめとした市民活動は7年目を迎えています。それだけ続けてこられた理由はなんでしょうか?
「最大のポイントは、頑張りすぎない、無理はしないということです。過去にマミーズガーデンをNPO法人化しようと検討していた時期があるのですが、そのときは活動に打ち込むあまり、家庭が二の次になってしまっていました。あるとき、なんだか疲れたなとふと感じたんです。子育て支援をするにあたって、自分の子育てを後回しにしていたら本末転倒ではないかと。そこから自分らしいペースにたどりつくことができ、結果的に長く続けられるようになったと思います。
そしてもう一つの、かつ最大の理由は仲間の存在です。一人ではなかったということ。それが本当に力になりました。もちろん長く続けていればいつも順調なことばかりではなく、ときにメンバー間で意見が食い違うなど、思うようにいかないこともありました。ですが、力を与えてくれるのも、最終的にはやっぱり仲間の存在。仲間が大切で、続けていきたいと思えたからこそ、ここまで続けてこられたと感じています」
− 今振り返って、福島への引っ越しがご自身の人生においてどんな転機になっていたと思われますか?
「もし地元の茨城から出ていなかったら、そして須賀川市を選んでいなかったら、このように市民活動をして多くの人と関わる人生は送っていなかったと思います。須賀川市はほどよいサイズ感で市民活動もしやすいですし、果樹園や田んぼなど自然が豊富でイベントを企画するにしてもとても恵まれた環境です。また、tetteができたことで交流がますます盛んになってきました。結果論なので、他の街に住んでいたらどうだったかということはわかりませんが、でもやっぱりこの街を選んだことが最高の選択だったのではないかと思っています」
− 引越しによって、ご自身の中でもっとも変化したところはどこだと思いますか?
「人との付き合い方ですね。地元にいたころは、人間関係といえば家族と昔ながらの友人、そして職場の人だけでした。今は市民活動をしているおかげで、あらゆる世代や立場の人たちと顔見知りになって、世界が広がりましたし、いざというときに頼れる人がすごく増えて心強く感じます」

− 見知らぬ地に引っ越したことで、かえって人付き合いが豊かになったというのは、おもしろいです。
「考え方も180度変わりました。たとえばかつて看護師をしていたときは、『病気になっても、病院に行けばなんとかなる』と考えていたのですが、今は『健やかでいるために、毎日を充実させて生活習慣や心の状態を整える』という予防医学的な考え方に変化しました。それもあって、最近は子育て支援活動と並行して、食にまつわる活動も始めました。畑作業を通して知識を得たり、講師を呼んで栄養学を学んだりと、須賀川市の豊かな自然を存分に生かしています」
- 枝豆の収穫体験を行なった
- 無農薬大豆で味噌作りに挑戦
− 今後、より力を入れていきたいことを教えてください。
「みんなが心も体も健康でいられるよう支援する活動をしていきたいです。たとえば、ママたちが健康になって笑顔になれば子どもも笑顔になりますよね。そんなふうに、まずは家族、そして友人、そのまわりの人……と、健康と笑顔の輪を広げていけたらよいなと思っています。
この地へ来てから10年間、いつも頭の片隅にあったのは夫の転勤の可能性です。自分の意志とは関係なくその時は訪れると思いますが、どこへ行くことになったとしても、まずは家族の絆を大切にして地盤を作り、自分のやりたいことにも向き合っていきたいと思っています。これだけたくさんの方とつながって作ってきたコミュニティを離れる日のことを想うだけでもとても寂しいですが、出会いや経験が心の支えになって、新天地でも頑張れる気がしています」
見知らぬ地で、初めての育児。それがどれだけ心細かったことかは容易に想像できますが、そこで内側にこもるのではなく、むしろその悩みを生かして支援活動につなげていったというのは並々ならないことだと感じました。長谷部さんはそれを「おせっかいな性格なんです」と表現されていましたが、自分ではない誰かのために一生懸命になる長谷部さんの姿は、きっと多くの方々に勇気と希望を与えてきたことと思います。
新たに取り組み始めたという食の活動も含め、今後も長谷部さんのご活躍が楽しみです。