365日毎朝スープを作っているという、スープ作家の有賀 薫(ありが かおる)さん。日本をスープの国にする野望を掲げ、書籍を多数出版したりcakesで連載をもったりと大変活躍されています。
そんな有賀さんは、2019年にご自宅のキッチンスペースのリノベーションを敢行。家での食事をよりコンパクトにする仕組みとして、新しい形のキッチンを構想・実装されました。これを「ミングル」と呼びます(理由は後述)。

写真のようにアイランド型で、テーブルサイズは95×95と小さめです。上下水道、IHコンロ、食器洗浄機が組み込まれ、キッチンとしてだけでなくダイニングテーブルとしての機能も想定しています。つまり簡単な料理〜食事、片付けまでがここで完結するのです。
このミングルの興味深い点は、ただ機能を凝縮したという外形だけでなく、そのコンセプトにあります。かつて台所仕事といえば女性が一手に担うのが当然でした。しかし現代では、夫婦や親子間で家事をシェアする家庭も増えています。それを前提として考えたとき、現在のキッチンの在り方はいかにも「一人用」であり、複数人が同時にキッチンに立つようには作られていません。
一方でミングルはキッチンと食卓を兼用するため、料理をする人と食べる人の役割が明確に分たれることなく、自然とミングルに集まります。食材を取り出して、ミングルの中央にあるIHヒーターにかける。それを温かいうちに食べる。食べ終わったら食洗機に入れて片付けも終了。やれる人がやる。やりたい人がやる。こうして、忙しい毎日の中でも気軽に食卓を囲めるミニマムな炊事スタイルが実現するのです。
いったい有賀さんはいかにしてこのミングルを思いつくにいたったのか、そして実生活の中でミングルはどのように機能しているのか。お話を伺いました。
スープ作家。2011年から8年間、約3000日にわたって、朝のスープ作りを日々更新。スープの実験室「スープ・ラボ」をはじめ、イベントや各種媒体を通じ、おいしさに最短距離で届くシンプルなレシピや、日々楽に料理をする考え方などを発信している。著書に『365日のめざましスープ』(SBクリエイティブ)、『スープ・レッスン』(プレジデント社)、『おつかれさまスープ』(学研プラス)、『朝10分でできるスープ弁当』(マガジンハウス)など。『帰り遅いけどこんなスープなら作れそう』(文響社)で、第5回料理レシピ本大賞入賞。Twitter/note
現代に適応する「わたしたちのキッチン」
キッチンの在り方はおよそ半世紀、進化していない
− 有賀さんの提唱するミングルキッチン、とても興味深く拝見しています。「新しいキッチン」というより「新しい生活様式」を提案していらっしゃいますが、どのような経緯でミングルという形に行きついたのでしょうか?

「わたしは約5年前からスープ作家として仕事をし始めましたが、活動を通していろいろな方の悩みに触れ、ごはんを作りたくない、面倒くさい、大変だと感じている方が多いことを知りました。わたし自身は昔から料理をすることが大好きで、料理自体は負担に感じることはなかったのですが、掃除などを含めて考えると “生活における家事の負荷” は確かに大きいと理解できます。
そもそも現代では核家族化だったり共働き家庭が増えていたりして、従来の家事のスタイルが合わなくなってきています。にもかかわらず、たとえばフルタイムで働いている女性が、専業主婦だったお母さまと比較して『自分は手抜きしてしまっている』と自己嫌悪してしまっている。さまざまな時短テクニックを身につけたとしても、抜本的に “理想とされる食卓像” が変化していない以上、無理を重ねている状態に変わりはありません。では現代に合う食卓像とはどんなものか? そんな切り口で、構想が広がっていきました」
− 課題意識があったとはいえ、新しいキッチンのスタイルを一から構想して形に落とし込むまでにはさまざまなハードルがあるように思うのですが、参考にした事例などはあるのでしょうか?
「2016年にキッチンのフォーラムに参加し、キッチンの歴史について話を伺う機会がありました。まず調理場がかまど式から脱却したのは昭和31年頃で、そのときにステンレスの流し台やダイニングキッチンのスタイルが登場したそうです。その後20年たらずで、現在のキッチンとおおむね同じ機能を備えた『システムキッチン』が登場し、一気に普及しました。逆を言うと、その頃確立されたキッチンのスタイルが、半世紀近く経った今もほとんど変わっていないのです。キッチンの形が現代に合っていないのは当然だと気づかされました。
とは言え、形だけの話でいえば、L字型やアイランド型のキッチンは登場していて、その中でもアイランドキッチンはやや異質な存在と言えると思います。学校の家庭科でもアイランド型の作業台で調理実習したと思うのですが、アイランド型は複数人での作業に向いている唯一の形ではないでしょうか。その日のフォーラムではそのことがすごく心に残って、それから数年後に自宅キッチンのリフォームを考えたときに、真っ先にアイランドキッチンを検討し始めました。
ですが、アイランドキッチンに調べ始めて間もなく、自分のめざすキッチンの姿と “アイランドキッチン” の間には大きなギャップがあることに気付きました。というのも、アイランドキッチンは広いスペースにしか設置できないということもあって、そのどれもが “ハイソな暮らしをする人たちのゴージャスなキッチン” という立ち位置にあったのです。わたしが作りたかったのは、忙しい現代人の生活に無理なくフィットような、無駄を削ぎ落としたミニマムな炊事スタイルですから、どうにも既存のアイランドキッチンは適合しませんでした。そういった背景もあって、いよいよ本格的に自分のイメージする新しいキッチンを形にしてみたいと思うようになったのです」
みんなでぐるぐる料理する、新しいプロダクト
− ご自身のnoteでミングルの構想〜完成までの経緯をつづられていますが、新しい概念ということで形に落とし込むまでにかなり苦労されたようですね。
「そうなんです。わたしの中でコンセプトは明確だったものの、実際にどうプロダクト化すればよいかのイメージはできていなくて、設計士さんにもなかなか意図を正確にお伝えできなかったのです。ちなみに、構想のスタートは『キャンプのごはん』でした。キャンプではコンロやBBQのセットみたいに最低限のものしかないけれど、普段キッチンに立たないようなお父さんや子供もわいわい楽しんで参加しますよね。作る人と食べる人が固定した関係ではなくて、交代したり一緒にやったり、みんなでぐるぐる参加する。そういうオープンな場を作りたかったのです」
− 今はミングルの形ができているのでおっしゃっているイメージがよくわかるのですが、まっさらな状態でそのコンセプトを聞いても、なかなか完成形にはたどり着けなさそうです。
「まさにそうで、設計図が定まるまでには実に半年ほどかかりました。その過程で設計士さんとたくさんディスカッションしたり、夫が模型を作ってイメージを共有してくれたりして、自分の中でも徐々に理想のカタチが作られていきました。実はミングルという名称を見つけてくれたのも、わたしではなく、設計士さんです」
− noteにもその経緯が書かれていましたね。
ミングルは、そもそも「混ざる」というような意味合いの英語だが、それをシェアハウス的なものに使った造語が、ネットの上に認められていた。ただ、まだ誰もが知っているような一般的な言葉にはなっていないようだった。このレポートの最初にも書いたように、「混ざる」「シェア」という意味、「みんな」「ぐるぐる(循環)」という語感、そういう多重な意味が感じられて、今回のこのコンセプトを表すのにふさわしいと思った。
このネーミングが実際に外向けに使えるものかはわからないけれど、この試作は単なる私物なわけだし、誰も文句は言わないだろう。
「ミングル」と呼ぼう。
note「新時代のごはん装置「ミングル」を自宅に作ってみた話」より
− 実際にミングルでの生活を実践してみて、いかがですか? 当初想像していた通りなのか、もしくは想定外だった点があれば伺いたいです。
「ミングルは、予想以上の出来でした。まず、ミングルのサイズ感にはとてもこだわったのですが、一歩動くだけで食器にも電子レンジにも流しにも届くというコンパクトさがとてもよく機能していると思います。次に、IHヒーターが平坦に埋まっている作りも、すごく便利ですね。普通にテーブルとして使えるので昼間はここに紙を広げて仕事ができて、食事時になったらぱぱっと片付けて炊事に移れる。時間によって顔を変えていく点が、ミングルならではだと思い気に入っています」
- 朝ミングル
- 夜ミングル
「また、これは想定していなかったポイントなのですが、お客さんをお呼びしたときに『食卓を囲むときの距離感がよいね』と好評でした。真ん中に熱源(IHヒーター)があるとそれが求心力になって、自然と人が集まってくるんです。それがまるで囲炉裏を囲むようで」
− 熱源が求心力になるとは……?
「たとえばここにフライパンを出して、ナスを焼き始めるとします。すると、みんなそれに誘われてわいわいと集まってきて、おいしいおいしいと食べてくれるんです。興味深いですよね。だって、もし日常の食卓で、ただ野菜をそのまま焼いただけのものがお皿に乗って出てきたら、そこまで魅力的に感じないと思いませんか? でも “目の前で焼きあがっていく” ことで高揚感や楽しさが加わり、ご馳走に変化しているんですね。まさにめざしていた『キャンプのごはん』状態を実現できていることに気がつきました」

− そう考えるとコンロのちからってすごい。コンロをしまう場所がないのと片付けが面倒に感じて持っていないのですが、ミングルはIHヒーターを内蔵していますもんね。
「想像以上の使い勝手でした。現代ではお父さんの仕事が遅かったり子供が塾に行ったりして、家族の食事の時間がバラバラになることがよくあります。もしミングルが世の中に浸透していて、火にかけるだけで食べられる一人用のご飯キットみたいなものがたくさん開発されていたら、すごく便利になるんじゃないかな。子供であっても自分のごはんをまかなえるスタイルが確立されたら、世の中のお母さんの肩の荷はかなり軽くなると思います」
スープ作家 有賀薫の原動力とは
働く女性の悩みは30年前から変わっていない?
− ミングルが向き合っている課題と、ミングルの役割についてはとてもよく理解できました。そして有賀さんがそれらの課題に対して、本当に深く取り組まれているということも改めて認識しました。そこまで深く向き合おうと思った動機はなんなのでしょうか?
「わたしはスープ作家をする前に会社勤めやフリーランスのライターをしていたのですが、結婚や出産を経る中でリソースを家事や育児にさかれ、思い切り働くということができませんでした。今振り返ると、当時のわたしはいつも何かに追われていて、家のことも仕事のことも満足にできていないという認識を抱きながら過ごしていたように思います。やがて息子が大学生になると自分はかなり自由になって、スープ作家としての活動も始めることができました。しかし活動を通して驚いたのは、今の若い人たちも当時のわたしと同じ悩みを抱えているという現実です。
時代が移り変わる中で、男女の雇用機会均等法や育メンという概念の登場などさまざまな変化がありましたが、結局女性の抱える悩みって変わっていないんです。キッチンの進化と同じで、見た目がきれいになっていっても、本質的な部分はほとんど変化していないことに気づかされました。自分は一通り子育てを終え、今は快適に過ごせる身です。しかし、だからといって問題を看過していては同じことが繰り返されるだけだと思いました。それで、この問題と深く向き合おうと考えるようになったのです」

− 確かに、わたしは現在31歳でまわりも既婚が増えてきましたが、家事育児をメインで担当するのは女性側という家庭が多いです。
「そうですよね。一方で、もちろん女性側が変わるべきだと思う部分も多々あります。キャンプでは男性や子供も張り切って関わるのに、自宅ではキッチンに立とうとしない理由はなんだろう? と考えてみると、他でもない女性側が無意識にキッチンを “クローズドな場所” にしてしまっているという背景も見えてきます。
そこで、ミングルです。ミングルは形自体もオープンに開かれているし機能も最小限なので、自然と人が入り混じる環境を作り出します。こういう新しいキッチンの形を体験してみることで、食卓の在り方にも変化が訪れるのではと期待しているのです」
− もはやスープ作家としての取り組みの域を超えて、社会問題に切り込んでいらっしゃいますね。
「おいしい料理を作るとかすてきなレシピを考えるとか、すでに多くの料理研究家の方々がやられていることなので、自分は違う角度から “家庭料理” にアプローチをしようと考えたのです。家庭と仕事を両立していた当時は無我夢中で向き合う余裕がなかった『問題』に対する疑問が、今になって自分を動かしているのだと感じます」
「ライフスタイルとしてのスープ」を見出すまで

− 有賀さんは元々ライターでいらっしゃったのですが、なぜスープ作家として活動するに至ったのですか?
「料理は子供のときから大好きで、家に来るお客さんにもよく料理をふるまっていたのですが、それを仕事にするという発想はありませんでした。今の活動のきっかけになった『スープ・カレンダー展』(2013年)も、息子の手が離れたタイミングでふと、それまで2年にわたって作り続けていたスープの写真を展示してみようと思い立ったもので、ほとんど遊びみたいなものだったんです。スープ作家を名乗ったのも、ちょっとした遊び心です。ですがそれをおもしろいと思ってくれる方々がいらっしゃって、取材も受けるようになり、これは仕事になるのでは……? と考えるようになりました」

「『本を出したい』という目標も生まれ、そのために必要であろうことにはどんどん取り組んでいきました。それまで料理の勉強を本格的にしたことがなかったため、喫緊で基礎を学ぶ必要があったのですが、同時にスープ作家としての実績も作っていきたいと考えました。そこで、出汁や食材について学んではアウトプットの場としてイベントを開催し、レポートという形でnoteにまとめていきました。これが、noteで続けてきた『スープ・ラボ』です。このように “勉強しながら発信する” というサイクルを1年半ほどやりながら、いろんな出版社にアプローチしていきました」
− すごくロジカルに進めてきたのですね。
「振り返るとそう見えますが、実際はもっと手探りで模索の連続でした。出版社からもなかなかよいお返事がもらえなくて、どうなるかはわかりませんでした。こうして活動できているのは人に恵まれた運やタイミングもあって、巡り合わせの結果だと思います」
− 特に2冊目の著作『帰り遅いけどこんなスープなら作れそう』は大ヒットして、第5回料理レシピ本大賞に入賞しました。これだけ支持されることは想像できていましたか?

「いえいえ、全然。この本は、28歳(当時)の女性編集者と一緒に作ったものなのですが、彼女は普段ほとんど料理をせず、食事もごはんに納豆やめかぶをのせたような、簡素なもので済ませていると言っていました。でも本当はもっときちんとしたものが食べたいと。だから『簡単に作れるけれど手抜き感がなく、一皿で満足感が得られるようなレシピ』がほしいと言われたのが企画の原点です。この本がヒットしたことで、彼女の潜在的なニーズが非常に多くの同世代の女性の中に共通するものだったと実感することができました。そして、従来のイメージである “脇役としてのスープ” ではなく、 “ライフスタイルとしてのスープ” という打ち出し方があるのだと考えられるようになったんです」
クリエイティビティの源泉
− それにしても、有賀さんは本当に創造力にあふれていらっしゃいますよね。スープ作家というブランディングを成功させていたり、“ライフスタイルとしてのスープ” という概念を打ち出したり、さらにはミングルという新しい様式を作り出したり、とてつもなくクリエイティブな方だと感じます。絵もすごくお上手ですし……。
- 有賀さんいわく「丸いものばかり描いてしまう」
- 質感まで見事に表現されている
「私自身は『うまくやっている』という自覚はないのですが、昔から何かを作ることが好きだったのは事実です。着せ替え人形を作ったり、雑誌を切り貼りしてまんがや付録を作ってみたり、家の間取りを描いたり家具のミニチュアを作ったり、そんな遊びばかりしていました。あまり役に立つようなことはしてこなかったですが、今レシピを考えたり、キッチンを作ってみようと思ったりしたのも、ある意味その延長でやっている感じなんです。
作るという遊びを通して、何気ないことの中におもしろさを見つける力が自然と鍛えられたと思います。たとえば『キャベツの断面っておもしろいな』って思ってじーっと見つめていて、『切り方によって、どんなふうに味が変わるだろう』という気付きにつながったことも。ちょっと変わった着眼点から発想を広げていくことが得意ですね」
− スープ作家という見せ方ではありますが、わたしにはある意味アーティスト活動されているようにも見えていました。幼少期から物づくりがお好きだったと聞いて、なんだかとても納得です。
新しい生活様式へのアプローチ
− 今後の活動について、展望を教えてください。
「一つは、ミングルを発展させていきたいです。プロトタイプとして自宅に作りましたが、これを実際にどこかに導入してもらえないものかなと。ぜひ初めて一人暮らしをする人や、初めて世帯をもった人に使っていただきたいですね。構想としてはミングルアパートが作りたいのですが、今はまだ少々遠い野望です(笑)。
もう一点は、これもまた新しい生活様式を考えるという意味では同じなのですが、家事だけでなく世の中にはいろいろなところで構造的な古さが残っていますよね。いろんなところでいろんな人が同じような問題に取り組んでいると思います。そうした人たちとつながって、対談やイベントを通してこれからの新しい暮らしや生活を考えていきたいです。今はコロナ禍のなかでなかなか進められずにいますが、次なる課題と捉えています」
まさかのミングルアパートという壮大な構想、そして専門分野だけでなくクロスジャンルで次世代の暮らしの在り方を模索していこうという姿勢、そのすべてが有賀さんの非凡さを感じさせ、お話を伺いながら圧倒されるばかりでした。
なんでもないことのように「遊びの延長なんです」と謙遜される有賀さんですが、ますます今後の活動を拝見するのが楽しみでなりません。なお、2020年の秋から冬にかけて2冊の新刊を予定されているとのこと。すでにファンの方々はもちろん、おうち時間が増えたことで自炊への関心が高まっているという皆さん、ぜひ情報公開を楽しみにお待ちください!
既刊の紹介
『3000日以上、毎日スープを作り続けた有賀さんのがんばらないのにおいしいスープ』文響社
3000日以上、毎日スープを作り続けたスープ作家が教える、今日から作りたくなるレシピ
「ありがさんちのスープってよくある材料と普通の調味料なのに、なんでこんなに美味しいんですか?!」
野菜の味を活かせば、塩だけでも美味しくなります。シンプルな作り方だから難しいことも失敗もなし! 塩×オイル×素材の組み合わせで今日から作れるレシピが無限大に広がります。