街の魅力をどう感じるかというのは人それぞれだと思いますが、ひときわ印象的な活動をされているのが今回のゲスト、ヤスノリさんです。ヤスノリさんはジモトぶらぶらマガジン『サンポー』を主宰していて、暇さえあれば散歩をして街の魅力を再発見しているというかなり変わった方です。
ヤスノリさんいわく、散歩とは「答えのない無限の娯楽」。「人が住み、次第に形作られていった “街” にはいろいろな現象が発生しますが、その解釈はひとそれぞれ。いかようにも楽しむことができる」というのです。
では、ヤスノリさん流の散歩とはいかなるものなのでしょうか。OHEYAGO Journey編集部より、永嶋と鈴木が同行させていただきました。
街はボケであふれている!?
都立大学駅から呑川(のみがわ)沿いを歩く
今回の待ち合わせ場所は都立大学駅。近くにヤスノリさんが最近注目している六差路があるということで、ぜひ見に行きたいと場所が決まりました。まずは駅から南側へ歩き、呑川緑道なるところをめざします。
永嶋「実は僕はサンポーの昔からのファンなんです。以前はのんびり一人で散歩するのが好きでしたが、子供が生まれてから全然しなくなってしまいました」
鈴木「目的なく歩くのって、私も不慣れです。散歩と言っても、どうやってよいものか……」
ヤスノリさん(以下:ヤス)「自由にやったらよいと思いますよ。散歩は、楽しければ何でも正解です。僕個人の散歩スタイルでいえば、街のツッコミどころを見つけて意図を探るようなことが好きです」
鈴木「街のツッコミどころ……?」
ヤス「ほら、たとえばそこ」

永嶋「なんだこれは!」
ヤス「結論から言うと、これは立ち小便を防ぐ意図で描かれているものです。鳥居のオブジェを置くなどして神様がいるかのように見せかけ、立ち小便や不法投棄を防ぐというアイディアがいつしか生まれたんですよね」
鈴木「へえええ、知りませんでした。わ! ここにもある!」

ヤス「ただ、ここまで雑に鳥居が描かれていると、もはや神様が居る感じを出すのはわりとどうでもよくなっていて、さながら “小便禁止の記号” かのように定着しつつあるんじゃないか? と思わされます。これ、ちょっと最近気にしている現象なんですよね」
鈴木「なるほど、形骸化してきているということですね……」
ヤス「ついでにもう一点ツッコミを入れると、貼り紙ではなく直接描いているというのもポイント高いです。だって、もし自分の家だったら直接何か描くなんてしないですよね。相当な何かこう、気持ちの高ぶりがあったか、もしくは逆にこの建物に愛着のない人の行為という可能性もちょっと出てくるのかな……」
永嶋「ふーむ、言われてみれば本当に興味深いですね」
わたしであればあっさり見過ごしてしまいそうなこの鳥居のマークから、どんどん思考が広がるのは日頃から散歩しているヤスノリさんならではでしょうか。序盤から圧倒されているうちに、以前呑川が通っていたという道に出ました。
ヤス「呑川は、桜新町のあたりを水源として、世田谷区、目黒区、大田区と流れていく二級河川です。このあたりは昭和30年後半からふたをされはじめ、現在は緑道として整備されています。駅の近くは自転車置き場として活用されていますが、置き場の名前に名残がありますよ」

永嶋「ほんとだ! 少し先の自転車置き場はまた別の橋の名前がついているんですね。おもしろい」
ヤス「あと僕が突っ込みたいポイントは、足元のここですね。なんで同じこと2つ書くんだっていう」

鈴木「ほんとだ(笑)。って、うわあ! こっちなんてもっとすごいですよ!」

鈴木「ちょっと怖いです」
散歩初心者向けの街なのでしょうか、これでもかと用意される「ツッコミポイント」に編集部メンバーもわかりやすくテンションが上がります。そんな私たちを横目に冷静なヤスノリさんはふと足を止めて、じっと何かに食い入ります。
永嶋「何かありました?」
ヤス「いや……この花はどうやって咲いているんだろうと疑問に思って」

ヤス「ここで咲いたわけではなさそうだから、誰かが持ってきたのかも」
鈴木「着眼点が繊細」
住宅街を大岡山方面へ
しばらく呑川沿いを歩き駅から離れてくると、少しずつ景色も単調になってきました。左右をキョロキョロとしていた永嶋が左手に坂を見つけ、あちらに行ってみたいということで方向転換しました。果たして何気ない住宅街にも、ツッコミポイントはあるのでしょうか。
ヤス「ん……?」
ここでも真っ先に足を止めたのはヤスノリさん! 目線の先は……看板のようです。

永嶋「どうしました?」
ヤス「いや、高いなと思って」


永嶋・鈴木「高!!!」
ヤス「この数字には、『これくらいの金額が妥当だろう』というオーナーの感覚がダイレクトに出ていると思うとちょっとおもしろくないですか? 相場は土地によって変わりますが、おそらくこのあたりだと3万円くらいじゃないかなあと思います」
こんな調子で、住宅街にも突っ込みどころはたくさんありました! キリがないので、ここからはツッコミどころのハイライトをお送りします(7枚の写真)。
ああだこうだとほぼ雑談のような会話をしながらおよそ1時間歩いていたら、大岡山駅にたどり着いてしまいました。大岡山駅をめざしていたわけではなくたまたま着いただけなのですが、なぜだかものすごく “ゴールしたような気持ち” になりました。というわけで今回の散歩は、ここまでです!
鈴木「一駅分、あっという間に歩いてしまいましたね」
永嶋「散歩楽しい。週4日出社にして、1日は散歩していたい」
ここにもまた、新たに散歩沼にハマってしまった人がいるようです。その頃、鈴木は心の中であることを思っていました。
(見に行くはずだった六差路はどうなったんだろう……)
当初の予定をガン無視して足のおもむくまま歩いてしまった一行。そうです、これが散歩の醍醐味というものです。
散歩で触れる、人々の暮らし

散歩記録を意識的につけ始めてからおよそ10年が経つというヤスノリさん。ヤスノリさんにとって散歩とはどんなものなのでしょうか。
ヤス「そうですね……僕個人にとっての『散歩』は “路上のボケ・歪みや、これは何だろうというようなものを拾って解釈をする作業” です。今日もいろいろと見てきましたが、ほかにも街を歩いていると長すぎる手すりや妙な位置の窓など、『なんでこうなった?』みたいなものがたくさんある。そういうものって、複数の人の気持ちや使い勝手とかがぶつかり合った結果なんだろうなと思うんです。
街に限らず、どうにもならないことをなんとかうまくやろうとしている現象を見つけるのが好きですね。『AからBへスッといかない、もしくはいけない現象』とでもいいますか。それらは生活感のあるよい街に生まれやすいので、そういう雰囲気の街を見つけると行きたくなります。
その衝動は呪いのような一面もあって、たとえば目的地があって、そこへ行こうとするとその道中、車窓から、知らないけど賑やかな商店街とか、年季の入った団地の公園とか、そういったものが目に入ってくると気になって気になって仕方なくなってしまうんです。なので、後日もう一回行くことになります」
鈴木「一つ目的地があったら、うさぎ算的に目的地が増えていってしまいそうですね…! ヤスノリさんはご自身のサイト『サンポー』においてたくさんのライターさんとご一緒されていますが、人の書いた散歩記録を読んだらそれで満足できるのか、それともその後実際に足を運びたいと思いますか?」
ヤス「僕は、読むだけでも満足できます。人の散歩記録には、街の現象に対する個人の解釈が詰まっていて、そこが散歩のエンタメ性だと思っています。同じ街でも、散歩者によってまったく違うところを見ているので、それが楽しいんです。『サンポー』に載せるために寄稿してもらっているというのはもちろんあるのですが、一番楽しんで読んでいるのは僕じゃないかな……。
さらに言うと、アメブロとかで『今日は犬の散歩をしました』みたいな見知らぬおばちゃんの日記を読むのも好きです。あれもおばちゃん視点の街の物語だと思います」
永嶋「日常ブログってたくさんありますよね。その発想をもって見てみると、まさに物語の宝庫ですね。ところでヤスノリさんには、お気に入りの街はありますか?」
ヤス「ごちゃごちゃした住宅街みたいなところや圧の強い商店街も好きですし、ニュータウンや埋め立て地など一見ツルッとしているところも、よく探すと妙な点が見つかるので楽しめます。結局、どんな街も好きです。あと、僕以外の人が散歩したらまったく別の見方をするはずで、そういう視点も教わりたいですし、楽しさは無限ですね」
鈴木「今日一緒に散歩させていただいて、ツッコミどころを探すという視点は本当にすばらしいアイディアだと思いました。取り入れやすくて、エンタメ性も増します」
ヤス「よかったらこれもぜひ活用してください。ドロッセルマイヤーズという、ボードゲームをつくったり本を書いたりイベントを企画したりしているお店が開発した『さんぽ神』という豆本です。ペラペラめくると、「どこで」「なにをする」という神のお告げが、1936種類出てきます。サンポー編集部も散歩アドバイザーとして制作に参加しました」
- さんぽ神
- 前半は「どこで」後半は「なにをする」
鈴木「えーおもしろい! さっそくやってみよう……」


鈴木「うわー! これはわくわくする! 今から行ってきていいですか!」
永嶋「退勤後にしてください。それにしても散歩にここまでゲーム性を与えられるとは、思いもよりませんでした」
ヤス「ただ歩くだけでももちろん楽しいのですが、“お告げに従う” ことを通して視野が強制的に広がるので、新たな楽しみ方の発見につながっていくのではないかな、と思います」
ヤスノリさんのお話を聞いていると、どんどんいろんな街をあてもなく歩いてみたいような気持ちになってきます。そして個人的にですが、新たに気づかされたことは、お部屋が「ある一人の人物の人生を反映したもの」だとすると、街は「たくさんの人物の人生が集約された結果」なのだなということです。そう考えると、初めての街に遊びに行くのは、初めて友だちの家に遊びに行くようなドキドキと重なるような気もします。
改めて深く考える機会のなかった「散歩」と、じっくりと向き合えた取材となりました。みなさんもぜひ、“書を捨てよ、町へ出よう”!
Text by 鈴木 紀子