「都会は便利だけれど、ここに住んで時間に追われることがなくなりました。自分らしい生き方を体現するには、田舎のほうが向いていると感じるんです」。
そう語ってくれたのは、現在徳島県佐那河内村に暮らすデザイナーの小林 幸(こばやし ゆき)さん。徳島の山間部では(実際には全国のあらゆるところで)、昭和初期に植えられたものの思うように売れなかったたくさんの木々が、腐って倒れて水害を引き起こしているそう。小林さんは、「その木材を有効活用した商品開発をしてほしい」という仕事のオファーを受け、この村にやってきました。
移住から2年目を迎えた今年の4月には、彼女のもう一つの専門である「食」分野でも活動を開始。お菓子工房「おやつ の花」を開業し、こだわりの焼き菓子を全国に届けています。小林さんが自然に実践している「作って暮らす」という生き方について、お話をうかがいました。
「食×デザイン」を仕事に

多摩美術大学の環境デザイン学科で住まいや環境について学んだ小林さん。お母さまがデザイナーであったこともあって、元々ものづくりへの関心が高かったと言います。
「デザイナーと一言で言っても専門領域はさまざまです。私が美大を受験する頃、東京はカフェブームで、たくさんのカフェに通うなかでインテリアやディスプレイデザインに惹かれていきました。インテリアなどを含む空間デザインは、実は苦手分野でしたが、憧れが優ってそちらの専攻にチャレンジしたんです」
その後、大学の活動とは別にまちづくりのNPOに参加していたとき、小林さんはあることから食のもつ力に気づくことになります。
「まちづくりの活動の中でイベントをいろいろとやっていたのですが、人の関心を集めるのって本当に大変で、だいたい参加してくださる方が限られてしまっていました。ところが、食事を振る舞ったりパーティーをしたりすると、接点のなかった人たちも集まってきてくれることに気がついたんです。やりたいことを直球で伝えるよりも、食べ物の存在がコミュニティ形成に一役買えるものなんだなあと実感しました。
卒業後はデザイン事務所に就職して、コンセプトメイキングやブランディングに携わったのですが、その中には飲食店のブランドつくりやお土産品の開発もあって、やはりデザインする側から食の分野に関わっていました。3年ほど働いたのちフリーになり、デザインの仕事と並行して飲食店やケータリング事務所にも勤務し、食の世界も本格的に経験しました。大学時代の友人たちと、カフェを運営していたこともあります」
- ケータリングのようす
- 全ぼう
やりがいのある仕事に恵まれながらも、再び働き方を変えたのは、3.11がきっかけになったと振り返る小林さん。
「『今自分にやれることはなんだろう』と考える中で、東北の支援がしたいと心が動きました。そこでマッチングフェアに足を運び、宮城県気仙沼市の水産加工会社での商品開発の仕事に出会いました。気仙沼にはワカメやイカ、カツオといった水産物があるのですが、震災で失った販路を立て直し、新たに商品開発をする必要があったのです。その頃は、一カ月の半分を宮城と東京で過ごす二拠点生活を続けていました」

かくして小林さんは、デザインと食分野を掛け合わせたキャリアを確立させました。一見ニッチですが、だからこそ需要は明確です。
「一人でどちらもできるというのは、重用されることも少なくありません。たとえばパッケージをAの会社、商品開発をBの会社に頼むとなるとコストがかさみますが、私は両方相談にのれるので。そうこうしているうちに、今の仕事のオファーをいただき、徳島にやってきました」
「ほっとする存在をシェアしたい」という思い
徳島での暮らしにも慣れ、かねてより抱いていた「いつかアトリエを持ちたい」という夢を現実にしようと動き出した小林さん。情報収集をして見つけた「食業工房さなごうち」という施設は、1階に加工室と事務所が、2階に居住スペースがある理想的な場所でした。

- 事務所
- 加工室
小林さんはここで、菓子工房「おやつ の花(のはな)」を立ち上げます。コンセプトは「自然でおだやかな時間に寄り添うおやつ」。工房のある「佐那河内村下字西ノハナ」の地名と野に咲く花のように自然で素朴でありたいという願いを込めてショップ名をつけたそうです。
「私はパティシエの道を歩んできたわけではないので、特別な日に食べるような “きれいなケーキ” を作ることはできません。私が作りたいと思っていたのはもっと日常に寄り添う、いわば “おばあちゃんのおはぎ” のようなおやつなんです。忙しく過ごす人が、これを食べてほっとしてくれたらいいな、そんな存在を提供したいな、そう思って作り上げました」

ブランドロゴから滲みでるのは、素朴で優しい雰囲気。添加物を使わず、素材の味わいを楽しめるおやつというコンセプトを見事に表現しているなあと感心していると「私が手書きで書いたんです」と驚きの返答が。幼い頃から書を習い事としてやっていたそうで、たとえば和食店や、手作り感を演出したいときなどには大活躍するのだそう。
「以前は書道に中途半端に取り組んできてしまったという思いがあったのですが、これもやはり3.11をきっかけに、改めて書道と真剣に向き合うようになりました。書道とデザインの共通点に気がついたり、字と向き合う時間が瞑想の役割を果たしたりと、自分にとってよい刺激になっています。
デジタルな時代だからこそアナログに書く意味をシェアしたいなと思って、書のワークショップも時折開催しています。筆の持ち方や線の引き方から始めて、最終的には自分の好きな文字やことばを考えて、各自どのようにしたためるか取り組んでもらうという流れです。皆さん、選ぶことばはさまざまで、書き方も人それぞれ。その違いを楽しんだり認め合ったりするんです」
- 書に向き合う小林さん
- 書のワークショップにて
徳島での暮らし
「徳島は、野菜もお肉もお魚も卵もあって、食材がとにかく豊富なんです。四国の玄関口である鳴門には世界的に有名な渦潮(海流の作る渦)がありますし、古事記に登場する穀物の神様・大宣都比売(おおげつひめ)もまつられていて、豊穣の地なんですよ」

確かに小学生のころ、徳島の渦潮について学んだ記憶があります。調べてみたところ、渦潮が起こることによってプランクトンが巻き上げられ、それを餌とする魚が育まれるのだそう。古事記では、イザナギとイザナミが最初に生んだのが淡路島、次に生んだのが四国というくらいですから、まさに自然と神に愛された土地だということがわかります。
小林さんに、普段の食事のようすを見せていただきました。
「外食する場所が全然ないので、自炊が当たり前になっています。ここでは物々交換が自然に実践されていて、これは地元の猟師さんからいただいた鹿ローストをメインにした一皿です」

「次の写真は地元の人と一緒に作った、すみれの花と山菜のちらし寿司です。その土地のめぐみを使っておいしいものを食べる幸せを日々感じています」

小林さんは、地方での暮らしは都市部にも還元できることがあると続けます。
「東京で暮らすのはコストがかかり、それなりの収入がないと難しい。一方、地方ではお金がなくても物々交換が成り立っていたりするから、なんだか少し気がらくなんです。時間に追われることもなくなって、心身ともに健康になったと感じます。もちろん地方には地方の大変さがありますが、世の中の価値観が多様化しているこのタイミングで、“お金に頼るだけではない暮らしの在り方” を模索して発信したいと思っています。風土という言葉のごとく、地域に “土の人” と “風の人” がいるとしたら、私は後者。さまざまな地を巡りながら、今後は家族を作って地方暮らしを実践していきたいですね」
お菓子を作り、プロダクトを作り、書をめぐるコミュニティを作り、自分らしいライフスタイルを作り上げてきた小林さん。彼女の“HOMEMADE” が、今日も誰かを笑顔にしている。そんなことを感じたインタビューでした。
Written by 鈴木紀子